土偶裸摩具羅 -Dogra Magra-

人生は死ぬまでの悪ふざけ

 墨田区に引っ越してきてから2020年(と2021年)のゴールデンウィークを流行病で過ごしてしまいすっかり忘れていたけど、東京スカイツリーや浅草には唸るほど人が溢れており、こんなにも人がいたのかと痛感させられた。

 目立った観光地でなくとも、およそ人の考えつく限りの場所は平素よりも多くの人で占められていた。人のいないのは「場所」と捉えられない僻地の道路などだけだ。

 自分は生まれてからこの方人口が減少して不景気の度合いを増し続ける日本しか見てきていないし、比較的賑やかでない、閉店とシャッター街のほうが目立つ地方で育ってきたから「商売は立地こそが全て」という考え方を強く意識してきた。

 翻って東京という都市はどこを切り取っても人で溢れているのだな、ということをこの感染症に遠慮することのない黄金週間を迎えて改めて意識した。例えば駅に近いでもない、誰が注目するかしれない町の裏通りの中にある小料理屋などがどうしてやっていけるのか常々不思議であったが、ここ東京であれば十分やっていけるだけの人・潜在可能性があるのだな、と思わされた。

 そうした厳密な原価と利益の算段をなしにしてもある程度の商売が成り立っていたのがそれまでの(自分がよく分かっていなかった)昭和~平成という時代なのかもしれない。そうでないのかもしれない。

 減少著しい業界である銭湯に通うようになってまだ8年ほど。この商売ほど収益と固定費が分からなくて立地が滅茶苦茶なものはないと思う。

かがやくわれらが 行手を見よや

 まだフリーマンにはなっていない。

 

 それはそれとして、20年ぶりくらいに、通っていた大学の図書館に行った。

 20年というと、構内(校内)で見かけた学生の多くが、まだ物心がついていないか、存在すらしていなかったということになる。

 社会から爪弾きにされて分かる。もうおれはOSSAN、限界全裸中年男性なのだ。

 図書館は、さすが勉強しに来ている学生が多いということもあり、また莫大な資金が投入されているということもあり、学習するにとても快適な空間だった。

 図書館への行き帰り、懐かしい横道などを通ってみた。随分と洒落たカフェができていたり、あの後輩が住んでいた下宿はここだと思ってみたり、当時はあまり気にしなかった利便性の良さそうなマンションが目についたり、ちゃんと外装を直して今も続いている店があったりした。

 今でも気まぐれに街をゆくぼくは 変わらないよ あぁ あのころのままさ

 何の因果か末法世界。
 いや、何の因果か月刊誌の編集者になってしまった、とは前回書いた。
 小難しい業界誌だから(自分は作るから読んでるけど)中の記事よりも、編集後記を読んでくれる人が多いんだね。
 「読んだよ」って声をかけてくれた人がけっこういて、うれしい。
 それまでの硬質で世相を斬る、みたいな硬質な内容から一転、軟質で文学的、内省的な(自分の得意とする)内容になったから、驚いた人も多いのだろう。
 次回もみんなを楽しませてやるぜ。

 実を言うと今日、さらに面倒なことが降ってきたのだけれども、先日からあれだけ騒いだおかげか妙に開き直ってしまい、別に何が来ようとやれるじゃんね?と思っている。

 やることはやる。やれんことはやれん。それだけの話。

 なるようにしかならん。

ショーガクセー イズ デッド

(面談があった)

 面倒くせええええええええええええ

 というのが正直なところだ。

 というのも、来たる新年度を契機に、今の部署を出ていく人の代わりに、自分が大層な責任を必要とする責務を負わなければならないという。

 おれは今まで、自分で面倒を負いたくないから企業には属しているけれども、面倒事には関わらない生き方をしてきた。(まあだから、給料とうだつが上がらないのはしょうがない)

 残業するのと仕事で責任を負うのは自分の性分に合わない。

 面倒は嫌いなんだ。

 でもおれも39歳、ついに今年でfuwackと言われる歳になる。

 というわけで、これからは残業して、多少の面倒に頭を悩ませなければならないらしい。

 おれの今の体たらくが、人生への熱意の無さに起因するのは分かっている。

 任せられたなら断りはしないし、やるべきことに責任は持つけど、さあ。

 今年1年は待遇(給料)を様子見する、じゃねーだろう!

 1年間もの間、努力が外に見えるように頑張って、来年(それも金銭面だけで)報われるってのは、気持ちとしてはけっこう厳しいんじゃねーの!

 通常業務は厭じゃねえ、むしろ好きなほうだけど、管理業務(管理職じゃないのにやるやつ)はそんなに好きじゃねえぜ。

 やるしかないんだけどさ。