土偶裸摩具羅 -Dogra Magra-

人生は死ぬまでの悪ふざけ

 まだ生きている。

 不慮の事故とか病気とか、突発的に死ぬようなイベントがない限り、まあ死にゃしないってのが世の中のにくいとこだね。(自分のあずかり知らぬところの運命などでうっかり消滅しているような物語に憧れるところはある)

 そういうことで、前回?あたりのフリーマンになる宣言から、十分にフリーマンを満喫したところで、またサラリーマンになったんだけど、憤慨して3か月でまたフリーマンになったりもしていた。

 翻って今は同じところで2年くらい真面目?にサラリーマンをしている。真面目かどうかは評価軸による。

 そういうわけで、この益体もねえ日記だかブログだかも20年を迎えようとしている。

 なんで今さらになってまた書き物を始めたのかっていうと、自分の中の「外に吐き出さなきゃやってらんねえ」という気持ちが臨界点を突破しそうで、ヒョコヒョコと閾値の地平からこっちの様子を伺っているからだ。

 ストレスじゃなくて、心境の変化で。

 

 めんどくせえ転機があった4年前からビールを飲むようになったけど、そのあとビールが重いと感じるようになって、今ではハイボールしか飲まない。

 食事で腹がいっぱいになるのもいやになって、基本的に炭水化物を避けるようになった。体重も過去最低を記録している。

 食事には必ずしも炭水化物が必要ではない、ということの発見があった。

 こういう発見も、通勤時間に本を読むようになってからだった。

 

 今は、やけくそみたいに銭湯・サウナに入って、本を読んで、酒を飲むだけの生活だ。

 希望に満ちあふれていた(仮)若き日の自分はどこに行ったのか。

 体だけは連続しているのに。

 墨田区に引っ越してきてから2020年(と2021年)のゴールデンウィークを流行病で過ごしてしまいすっかり忘れていたけど、東京スカイツリーや浅草には唸るほど人が溢れており、こんなにも人がいたのかと痛感させられた。

 目立った観光地でなくとも、およそ人の考えつく限りの場所は平素よりも多くの人で占められていた。人のいないのは「場所」と捉えられない僻地の道路などだけだ。

 自分は生まれてからこの方人口が減少して不景気の度合いを増し続ける日本しか見てきていないし、比較的賑やかでない、閉店とシャッター街のほうが目立つ地方で育ってきたから「商売は立地こそが全て」という考え方を強く意識してきた。

 翻って東京という都市はどこを切り取っても人で溢れているのだな、ということをこの感染症に遠慮することのない黄金週間を迎えて改めて意識した。例えば駅に近いでもない、誰が注目するかしれない町の裏通りの中にある小料理屋などがどうしてやっていけるのか常々不思議であったが、ここ東京であれば十分やっていけるだけの人・潜在可能性があるのだな、と思わされた。

 そうした厳密な原価と利益の算段をなしにしてもある程度の商売が成り立っていたのがそれまでの(自分がよく分かっていなかった)昭和~平成という時代なのかもしれない。そうでないのかもしれない。

 減少著しい業界である銭湯に通うようになってまだ8年ほど。この商売ほど収益と固定費が分からなくて立地が滅茶苦茶なものはないと思う。

かがやくわれらが 行手を見よや

 まだフリーマンにはなっていない。

 

 それはそれとして、20年ぶりくらいに、通っていた大学の図書館に行った。

 20年というと、構内(校内)で見かけた学生の多くが、まだ物心がついていないか、存在すらしていなかったということになる。

 社会から爪弾きにされて分かる。もうおれはOSSAN、限界全裸中年男性なのだ。

 図書館は、さすが勉強しに来ている学生が多いということもあり、また莫大な資金が投入されているということもあり、学習するにとても快適な空間だった。

 図書館への行き帰り、懐かしい横道などを通ってみた。随分と洒落たカフェができていたり、あの後輩が住んでいた下宿はここだと思ってみたり、当時はあまり気にしなかった利便性の良さそうなマンションが目についたり、ちゃんと外装を直して今も続いている店があったりした。

 今でも気まぐれに街をゆくぼくは 変わらないよ あぁ あのころのままさ

 何の因果か末法世界。
 いや、何の因果か月刊誌の編集者になってしまった、とは前回書いた。
 小難しい業界誌だから(自分は作るから読んでるけど)中の記事よりも、編集後記を読んでくれる人が多いんだね。
 「読んだよ」って声をかけてくれた人がけっこういて、うれしい。
 それまでの硬質で世相を斬る、みたいな硬質な内容から一転、軟質で文学的、内省的な(自分の得意とする)内容になったから、驚いた人も多いのだろう。
 次回もみんなを楽しませてやるぜ。

 実を言うと今日、さらに面倒なことが降ってきたのだけれども、先日からあれだけ騒いだおかげか妙に開き直ってしまい、別に何が来ようとやれるじゃんね?と思っている。

 やることはやる。やれんことはやれん。それだけの話。

 なるようにしかならん。