土偶裸摩具羅 -Dogra Magra-

人生は死ぬまでの悪ふざけ

 墨田区に引っ越してきてから2020年(と2021年)のゴールデンウィークを流行病で過ごしてしまいすっかり忘れていたけど、東京スカイツリーや浅草には唸るほど人が溢れており、こんなにも人がいたのかと痛感させられた。

 目立った観光地でなくとも、およそ人の考えつく限りの場所は平素よりも多くの人で占められていた。人のいないのは「場所」と捉えられない僻地の道路などだけだ。

 自分は生まれてからこの方人口が減少して不景気の度合いを増し続ける日本しか見てきていないし、比較的賑やかでない、閉店とシャッター街のほうが目立つ地方で育ってきたから「商売は立地こそが全て」という考え方を強く意識してきた。

 翻って東京という都市はどこを切り取っても人で溢れているのだな、ということをこの感染症に遠慮することのない黄金週間を迎えて改めて意識した。例えば駅に近いでもない、誰が注目するかしれない町の裏通りの中にある小料理屋などがどうしてやっていけるのか常々不思議であったが、ここ東京であれば十分やっていけるだけの人・潜在可能性があるのだな、と思わされた。

 そうした厳密な原価と利益の算段をなしにしてもある程度の商売が成り立っていたのがそれまでの(自分がよく分かっていなかった)昭和~平成という時代なのかもしれない。そうでないのかもしれない。

 減少著しい業界である銭湯に通うようになってまだ8年ほど。この商売ほど収益と固定費が分からなくて立地が滅茶苦茶なものはないと思う。