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その怒りは本当に必要なものだろうか?
最近、正義というものを疑っている。
正義は怒り(義憤)に結び付きやすいものだからだ。
ストレスコントロールを考えると、怒りという感情はできるだけ抱くべきではない。
いらぬ情報を受け取り、それにいちいちつっかかっていたのでは、体がもたない。
自分が普遍的だと信じている正義とは、今まで創作の中で得てきた、作劇の点から有効とされてきた単なる演出なのかもしれない。
それを美しいものだと思い込み、自分の中で反芻して強化してしまった結果がこの生きづらさだとすれば、それは考えを改めるべきだろう。
自分は、もういい加減気付いてもいい頃だろう。世の中が「正義」では割り切れないということに。
僕は、世界が汚くなっていってもいいと思うくらい、自分が汚れてしまってもいいのだ。
目を閉じて、少し離れてから考えよう。僕の思考は誰のものでもない。僕自身のものなのだと。